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2019/水性木版画

commentary

作品に登場する鳥はウトウという。彼らは普段海上で生活し、子育ての時期にだけ地上に戻ってくる。親子愛の強い鳥として日本各地に伝説が残っているが、現存している数や生息地は少ない。 彼らは生まれた雛に餌を与える夜にだけ巣に戻る。雛が大人になったと思うと、もはや巣には戻らない。 親が帰ってこなくなった雛は餌を求め、崖から転げ落ち海へと巣立って行く。親は子に食物しか与えていなく、飛び方も餌の取り方も教えてはいないが大人になれば自然と同じになるのだ。親が子にしてあげられる最たる行為とは「子を大人にすること」であるのかもしれない。雛が成鳥となる前の段階は、人間でいえば学生の頃に当たる。学生が制服を着るのは大人になる前までで着るものが変わり、以降は別の服を着て自分で稼ぐようになる。

天売島に行ってきた話

北海道の離島「天売島」へバードウォッチングしに行ってきた。「ウトウ」を見るためだ。ウトウは海鳥で、子育てをする時以外は海上で生活している。ウトウを陸で間近に見るには繁殖時期である5月から7月の間に繁殖地へ行く必要があるのだ。

青森からフェリーに乗る

深夜に自動車と我々を乗せ船が出発した。今回の旅では北海道を車で移動することになる。走行距離片道644㎞の1泊3日の弾丸ツアーだ。何故こんな強行日程になってまでわざわざ離島へ向かうのかというと、天売島がウトウの一大繁殖地だからだ。ウトウという鳥自体が、今ではなかなか目にすることのできない貴重な存在になってしまった。謡曲や伝承の中で接することはできても実際に目にしようとすると大変だ。フェリーに乗るなんて小学校の修学旅行以来だし船酔いする可能性に不安が募る。 乗ってしまえば船の揺れはまるでゆりかごのようで、結局ギリギリまでグースカと寝てしまった。陸地から離れて移動するためには飛ぶか海を漂うしかないわけで、それは海鳥も人間も同じなのだ。瞬間移動はまだできない。

北上して再びフェリーへ

何故我々はこんなスケジュールでいけると思ったのだろう。抜群の眠気と戦いながら、なんとか羽幌のフェリーへ滑り込む。危なかった。ウトウは夜にしか島に上陸しないため、見ようと思ったら必ず島に一泊する必要があるのだ。今夜の宿はキャンプ場だ。5月の北海道で野宿など、翌日無事に朝を迎えられるのか一抹の不安を抱えながら港を後にした。

天売島へ到着

青函フェリーとは異なり、異常に揺れる船上となったが、またもや眠気が勝ち、船は私のためのゆりかごと化した。目がさめると、横には真っ青な顔があった。 天売島は全長12㎞、住民は100名ほどの小さな島だが、8種類もの貴重な海鳥の繁殖地で80万羽のウトウがこの島で子育てをするまさに鳥の楽園である。鳥と島という字が似ていることも納得である。我々が普段、鳥の巣といえば木の枝や自宅の屋根付近でよく見るモジャモジャしたものをイメージすることだろう。だが、彼らの自宅は地面に穴を掘って完成する。けしてスコップは使わない。80万羽もいたら住民との間に軋轢が生まれても不思議では無いが、彼らのスペースと住民のスペースは綺麗に別れている。起こっている多少の被害なんて島唯一の国道が彼らのマイホームを掘る作業により崩れてしまうことくらいだ。この島も昔は近辺の町と同様、一時は鰊漁のため本州からの多くの移住者で繁栄した歴史がある。鰊を加工する火のため、木を伐採しすぎて水不足に陥ったこともあったらしい。植林事業により復活しつつある島の木はまだ若い。

雨とウトウと私

テントの中で私は悩んでいた。バードウォッチングにレインウェアを持って行くかどうかを。大丈夫何度も天気を確認したじゃあないか。そう自分に言い聞かせて観察ツアーの集合場所へ向かった。前回は雨だった。せっかくのウトウの帰還が曇りと雨で見られなかった。今回こそはと時期をずらし見にきたのだ。そうして挑んだ巣穴の付近にはウトウの持ってくるエサを狙ったウミネコがすでに待機していた。そんな彼らと共にウトウの出待ちをしていると、顔に雫が当たった。その雫はすぐに大きな雨粒となって容赦無く降ってきた。スコールだ。どうやらこの一ヶ月雨は降っていなかったらしい。恵みの雨だと現地の人は喜んでいた。私はミラクルを起こしてしまったのだろうか。それともこの傍にいる神主が雨乞いの祭祀でも行ったのだろうか。

ウトウの家族関係

ウトウは情愛の深い鳥として知られている。オシドリという鳥はよく、夫婦の仲が良いことに使われるが毎年相手を変える。対してウトウは生涯同じ相手と連れ添う。毎年同じ巣穴で毎年同じ相手と子作りをするのだ。ただしそれ以外の時期は別々の人生を歩んでいる。雛とだって成長したなと思ったらもう巣には帰らなくなる。それくらいの距離感が夫婦を上手くやって行く秘訣かもしれない。

ウトウと彼らの警戒心

雛が育つまで毎日エサを与えるため暗くなる少し前から巣に帰ってくる。彼らは魚を取るのがとてもうまい。海中に深く潜るため、鳥としては重いからだをしているからだ。だから飛ぶのがあまり上手くない。ウミネコはそんな彼らの獲物を奪いとる方が、都合が良いのだと気づきだし巣の前でウトウの成果物を狙っている。ウミネコにエサを奪われないためウトウの戻ってくる時間は年々遅くなっていて、ついでに同じウトウの中にも他のウトウのエサを狙って待っているものもいる。鳥の社会も多くなれば複雑になるのだろう。鳥は鳥目と誰が言ったのか、ウトウは我々より断然暗闇が見えているので時速60㎞〜80㎞のスピードでもって低空飛行で巣穴に飛び込んでくるのだ。鳥の反射速度とは早いものだ。ウトウを避けるためウミネコがホバリングしている姿を見た。そんな弾丸みたいな彼らだが、歩くのは遅い。ペンギンのようによちよちゆっくり歩くのだ。エサも盗らないし雛も襲わない人間なんて鳥たちに警戒されない。彼らが警戒するのはウミネコとか同種の盗人たちや、その他の彼らに不利益をもたらす生き物のみだ。

今回の旅は

なんだかんだで途中、悪質な睡魔とスコールに襲われながらもなんとかウトウを見るという目的を達成した。帰りは行きに多く寝たせいか頭がスッキリして無事に帰路につくことができた。余裕をこきすぎて乗るフェリーターミナルを間違えたり、それで慌ててナビを設定したら事務所の方が設定されてしまい、乗り込むのが間一髪だったりしたわけだが大した問題じゃない。ただ、見に行って思ったのだが、おそらく現在の住人がウトウに抱いている感情と、昔の人々がウトウに抱いていた感情は異なるのだろう。現在を通して見るウトウは一度大きく数を減らされ保護された存在である。人間の感情こみで考えた場合、それは自然状態ではない。私はこの旅でウトウと人との関係性についてもっと深く知りたいと思うようになった。

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